血液脳関門を越えて抗体を脳へ届ける新たな送達技術を開発―環状SLSペプチド融合により抗体医薬の脳移行性を向上―
(ポイント)
- 独自に開発した環状ペプチド「SLSペプチド」を抗体医薬に融合することで、血液脳関門(BBB:血液中の物質が脳に入るのを制限する仕組み)を越えて、抗体医薬を脳内へ届ける新たな技術を開発しました。
- SLSペプチド融合抗体は、元の抗体の品質と機能をおおむね維持し、マウスでは血中濃度を大きく変えることなく、投与1時間後の脳内濃度を約6倍に高めました。
- SLSペプチド融合抗体は、既存の抗体製造技術を用いて作製でき、標的の異なる2種類の抗体で脳移行性の向上を確認したことから、さまざまなモノクローナル抗体に応用できる可能性があります。
(概要説明)
熊本大学大学院生命科学研究部(薬学系)の伊藤慎悟准教授らの研究グループは、独自に開発した環状ペプチド「SLSペプチド」を、遺伝子組換え技術を用いて抗体医薬に融合しました。これにより、抗体の品質や機能を大きく損なうことなく、血液脳関門(Blood-Brain Barrier:BBB)を越えて抗体医薬を効率よく脳内へ送達する新たな基盤技術を開発しました。
本技術では、IgG1型抗体を構成する2本の重鎖それぞれのC末端に、短い連結配列(リンカー)を介してSLSペプチドを融合するという簡便な分子設計を採用しました。SLSペプチドを融合した抗体医薬は、培養細胞を用いたBBBモデルにおいてSLSペプチドを融合していない抗体(未修飾抗体)よりも高い透過性を示しました。マウスに静脈内投与した実験でも脳への移行性が大きく向上し、投与1時間後の脳内濃度は未修飾抗体の約6倍に増加しました。一方、血中濃度の推移は未修飾抗体とほぼ同等であり、抗体本来の血中動態を大きく損なうことなく、脳への移行性を高められることが示されました。
また、乳がんなどの治療に使われる抗HER2抗体「トラスツズマブ」と、アルツハイマー病治療薬として開発された抗アミロイドβ抗体「アデュカヌマブ」という標的の異なる2種類の抗体で、いずれもSLSペプチド融合による脳移行性の向上を確認しました。このことから、本技術は、特定の抗体に限らず、さまざまなモノクローナル抗体に応用できる可能性があります。さらに、特別な製造工程を追加せずに、一般的な抗体製造技術で作製できることも特徴です。これらの成果から、本技術は幅広い抗体医薬への応用が期待される脳内送達基盤技術と考えられます。
本研究は、科学研究費助成事業(研究代表者:伊藤慎悟、22H02786)および日本医療研究開発機構(AMED)創薬基盤推進研究事業(モダリティの組織選択的送達と経口吸収を可能にする創薬デザイン技術開発)の支援を受けて実施されました。
(説明)
抗体医薬は、標的分子に選択的に結合する性質を持つため、中枢神経系疾患(=脳や脊髄の病気)の治療への応用が期待されています。しかし、血液脳関門(BBB)があるため、血液中に投与された抗体は脳内にほとんど移行できず、これが大きな課題となっています。脳血管の受容体を利用する既存の送達技術では、分子構造や製造工程が複雑になったり、血中での薬物動態に影響が出たりする場合があります。そこで本研究では、研究グループが独自に開発し、遺伝子工学的に抗体へ容易に融合できる環状ペプチド「SLSペプチド」に着目しました。複雑な抗体設計を必要とせず、抗体本来の品質や機能、血中動態を大きく損なわずに、BBBを越えて抗体を効率よく脳内へ届ける新たな抗体の脳内送達技術の開発を目指しました。
- SLSペプチド融合抗体の設計と品質・機能評価
本研究では、モデル抗体としてHER2陽性乳がんなどの治療に用いられる抗体医薬「トラスツズマブ(TZB)」を用いました。抗体を構成する2本の重鎖それぞれのC末端に、柔軟な(G4S)3リンカーを介して環状SLSペプチドを融合した抗体「SLS-F-TZB」を設計しました(図1)。SLS-F-TZBは、既存の一般的な抗体製造法により、未修飾TZBと同程度の生産量と高い純度で製造できました。品質低下の原因となる凝集体(=抗体同士が寄り集まった塊)も認められませんでした。さらに、HER2陽性がん細胞に対するトラスツズマブ本来の細胞傷害活性も維持されていました。これらの結果から、SLSペプチドを融合しても、抗体の品質や機能が大きく損なわれないことが示されました。
- SLSペプチド融合によるBBB透過性と脳移行性の向上
次に、SLS-F-TZBのBBB透過性を、複数のBBBモデルで評価しました。細胞を平面的に培養した2次元BBBモデルでは、SLS-F-TZBは未修飾TZBと比較して、1時間後に約3倍高い透過性を示しました。さらに、ヒト細胞から構成される3次元BBBモデルでも、蛍光標識したSLS-F-TZBは未修飾トラスツズマブより高い移行性を示しました。このように、異なるBBBモデルにおいて一貫して、SLSペプチドの融合により抗体のBBB透過性が向上することが示されました。加えて、SLS-F-TZBをマウスに静脈内投与したところ、投与1時間後の血中濃度は未修飾TZBとほぼ同程度だった一方、脳内濃度は約6倍に増加しました(図2A)。また、免疫染色においても、SLS-F-TZBでは未修飾TZBと比較して、脳毛細血管の外側にヒトIgG抗体由来の蛍光シグナルが多く観察されました(図2B)。SLSペプチドを融合することで、抗体の血中濃度を大きく変えることなく、脳への移行性を高められることが示されました。
- SLSペプチド融合抗体の分子設計の最適化
SLSペプチドの脳内送達機能を高めつつ、抗体としての品質や製造性を維持するため、SLSペプチドの環状構造、融合するペプチドの数、および抗体とSLSペプチドをつなぐリンカー構造について検討しました。まず、SLSペプチドの環状構造を直鎖状に変更すると脳移行性が大幅に低下したことから、SLSペプチドの環状構造が脳移行性の向上に重要であることが示されました。一方、抗体に融合するSLSペプチドの数を増やしても、脳移行性のさらなる向上は限定的でした。さらに、融合するペプチド数を増やすと、抗体の生産性が低下し、凝集体が増加する傾向が認められました。これらの結果から、(G4S)3リンカーを介して2本の重鎖それぞれのC末端に環状SLSペプチドを1分子ずつ融合する構造が、高い脳移行性と良好な製造性を両立する分子設計であることが示されました。
異なる抗体医薬への応用可能性
本技術が別の抗体医薬にも応用できるかを検証するため、アルツハイマー病の治療を目的に開発された抗アミロイドβ抗体「アデュカヌマブ」にSLSペプチドを融合した抗体「SLS-F-Adu」を作製しました。SLS-F-Aduも高い純度で製造できました。マウスに静脈内投与したところ、未修飾のアデュカヌマブと比較して血中濃度を大きく変えることなく、脳内濃度が約3倍に増加しました。トラスツズマブとは標的の異なる抗体でも脳移行性の向上が認められたことから、SLSペプチド融合技術は特定の抗体に限定されず、さまざまな抗体医薬に応用できる可能性が示されました。
- SLSペプチド融合抗体の長期的な脳移行性と血中動態
SLSペプチド融合が抗体の体内動態に与える影響を調べるため、マウスへの単回投与後1週間にわたり、脳内および血中の抗体濃度を測定しました。その結果、SLS-F-TZBは投与後早期から未修飾TZBよりも高い脳内濃度を示し、その差は長期間にわたって維持されました(図3A)。一方、血中濃度は1週間を通じて未修飾TZBとほぼ同様に推移し、SLSペプチド融合による血中動態への大きな影響は認められませんでした(図3B)。これらの結果から、SLSペプチド融合により、抗体本来の血中動態を大きく変えることなく、脳内濃度の増加が長期間持続することが示されました。
[展開]
本研究により、SLSペプチドを抗体に融合することで、抗体本来の品質や機能、血中動態を大きく損なうことなく、脳への移行性を高められることが示されました(図4)。本技術は汎用性の高い脳内送達基盤技術として、さまざまな抗体医薬への応用が期待されます。今後は、作用機序の解明に加え、脳疾患モデル動物やサルなどの非ヒト霊長類を用いた治療効果や安全性の検証を進め、中枢神経系疾患に対する次世代抗体医薬への応用を目指します。
(論文情報)
論文名:Cyclic SLS peptide fusion enables efficient brain delivery of monoclonal antibodies across the blood–brain barrier
著者:Kanna Kurashiki, Shoei Kameoka, Mitsumi Ohtsuka, Koki Sasaki, Seiya Ohki, Shoma Chikamatsu, Teruya Nakamura, Takeshi Masuda, Tomomi Furihata, Sumio Ohtsuki, and Shingo Ito*
掲載誌:Molecular Pharmaceutics
doi: 10.1021/acs.molpharmaceut.6c00376
【詳細】 プレスリリース(PDF642KB)
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お問い合わせ
熊本大学大学院生命科学研究部(薬学系)
微生物薬学分野
担当:(准教授)伊藤 慎悟
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