南九州最古のイネ発見 鹿児島県志布志市小迫遺跡出土土器包埋炭化イネの年代測定結果

<研究成果の概要>

 熊本大学大学院人文社会科学研究部附属国際人文社会科学研究センター・小畑弘己教授らの研究グループは日本考古学協会発行の研究雑誌『日本考古学』54号(2022518日刊行)誌上において、鹿児島県志布志市小迫(こざこ)遺跡出土土器から検出した炭化イネの炭素年代値が南九州地方で最も古いことを明らかにしましたこの年代値は、北部九州地方から南九州地方までの稲作伝播の時間差が200300年間であるという従来説に対し、30年間というきわめて短い時間であったという、驚くべき内容であり、今後、稲作伝播や各地における農耕化過程を見直す成果といえます。

<研究の背景>

 これまでの日本考古学の定説によると、イネやアワ・キビなどの穀物栽培は、中国大陸に起源をもち、朝鮮半島の青銅器文化を通じて、弥生時代早期(27902710 14C BP)に日本に伝わったと考えられてきました。弥生時代の最古型式土器は、北部九州の福岡県板付遺跡や佐賀県菜畑遺跡などの灌漑水田址に伴う突帯文土器「山の寺・夜臼Ⅰ式土器」です。この土器型式が使用された年代は、土器付着物の炭素年代測定の結果から紀元前10世紀と想定されています。これに対し、南九州の最古の刻目突帯文土器である田布施Ⅰ式土器の炭化付着物の炭素年代値は、それより200300年新しい年代値(2590±30 14C BP2550 ±25 14C BP)を示し、このため北部九州から南九州への稲作の伝播が200300年、ないしは別の年代観でも100年ほどかかったと信じられてきました

<本研究の内容と意義>

 小畑教授らはこの「同一土器型式の使用時間の年代差=稲作伝播の時間差」という考えに疑問をもち、南九州の刻目突帯文土器以前ないしは並行期と考えられている、縄文時代晩期後半の土器型式である、黒川式(新段階)土器の圧痕調査をここ10年ほど継続して行ってきました。その過程の中で、鹿児島県志布志市教育委員会の全面的な協力のもとに、同市小迫遺跡出土土器の中からイネやエゴマの圧痕をもつ浅鉢形土器を発見しました。そして、その器壁内部から検出したイネの潜在圧痕中から炭化物を取り出し、東京大学総合研究博物館の研究グループが開発した微量炭素年代測定法を用いて年代測定を行いました。

 その結果、小迫遺跡のイネは、2613±35 14C BPの炭素年代測定値をもち、北部九州で最も古い年代値をもつ炭化米(佐賀県宇木汲田貝塚・山の寺・夜臼Ⅰ式期貝層出土)の最新年代値(2640±20 14 CBP)と比較しても、約30年間の差しかない(補正年代はほぼ変わらない)ことを明らかにしました。この土器は、胎土や型式から見て、在地で製作されたもので、北部九州から搬入された土器ではありません。

 この研究成果は、南九州における刻目突帯文土器の出現=水稲耕作の開始と捉えていた従来の思考法が間違いであったことを示すものであり、100年単位と考えられていた北部九州から南部九州へのイネの伝播が数十年単位ときわめて速かったことを意味し、さらには、イネが土器型式圏を越えて伝わっていることから、今後、稲作伝播のメカニズムや地域間相互の集団関係などを考え直す契機となる重要な研究成果といえます。

 

 小畑教授らは、2020年秋より文部省科学研究費の学術変革領域研究(A)「土器を掘る」の研究プロジェクトを進めており、本研究成果はこの成果の一つです。

HP: http://www.fhss.kumamoto-u.ac.jp/archaeology/earthenware/

 

【論文情報】

○タイトル
 土器包埋炭化物測定法による南九州最古のイネの発見 -志布志市小迫遺跡出土のイネ圧痕とその所属時期について-

○著者
 小畑 弘己※1・真邉 彩※2・國木田 大※3・相美 伊久雄※4
 ※1:熊本大学大学院人文社会科学研究部附属国際人文社会科学研究センター
 ※2:鹿児島県教育庁文化課
 ※3:北海道大学大学院・文学研究院
 ※4:志布志市教育委員会生涯学習課

○掲載誌
 日本考古学 54号(令和4年518日刊行)

【詳細】

  プレスリリース本文(PDF1424KB)

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