「佐賀の乱」時の細川家世子をめぐる熊本での騒動を示した新史料を発見

【ポイント】

  • 明治7(1874)年2月、佐賀県で明治政府に対する士族反乱「佐賀の乱」が起こった際、政府の軍隊である熊本鎮台が旧熊本藩主細川家の世子(世継ぎ)を熊本城内に移そうとしたところ、それに旧熊本藩士族が強く反発した騒動があったことを示す日記が、熊本大学所蔵の「松井家文書」と熊本県立図書館所蔵の「池辺家文書」より発見されました。
  • 上記の騒動は、熊本鎮台司令官であった谷干城が、佐賀の乱後に作成した覚書に登場しますが、今回、旧熊本藩士族の日記に関係記述が発見されたことで、確定的な事実として明らかになりました。
  • この事実から、廃藩置県後の旧藩主家が、依然として旧藩地・旧藩士族に大きな影響力を有していたことが伺えます。


【概要説明】

 熊本大学永青文庫研究センターの今村直樹准教授は、松井家文書及び池辺家文書の調査から、佐賀の乱にともなう熊本の騒動を示す日記を発見しました。これは、従来知られることがなかった、他県での士族反乱により誘発された旧熊本藩士族の騒動を生々しく物語るものです。

 佐賀の乱にともなう熊本の騒動は、熊本鎮台司令官の谷干城が、佐賀の乱後に作成した覚書に記されています(「明治七年二月佐賀県士結党の件」『谷干城遺稿三 続日本史籍協会叢書』〔東京大学出版会、1976年覆刻版〕)。しかし、今回、鎮台側ではなく旧藩士族側である松井家及び池辺家の文書から、かつ当時の日記に関係記述が発見されたことで、上記の事実が確定されるとともに、騒動の全体像が初めて明らかになりました。


【用語解説】

※佐賀の乱…明治71874)年2月、佐賀県で起こった明治政府に対する士族反乱。征韓論に敗れて帰郷した前参議江藤新平らを中心として、佐賀県の士族が「征韓・旧制度復活・攘夷」を唱えて挙兵したが、政府軍に鎮圧された。


【公開情報】

 「明治七年 日記」(松井家文書)は、本年11月開催予定の附属図書館貴重資料展で公開される見込みです(文書の傷みが激しいため、パネル展示の予定)。


【詳細】 プレスリリース本文(PDF420KB)


*永青文庫研究センター

 熊本大学附属図書館には、「永青文庫細川家資料」(約 58,000 点)や細川家の筆頭家老の文書「松井家文書」(約 36,000 点)の他、家臣家や庄屋層の文書群計 10 万点あまりが寄託・所蔵されており、永青文庫研究センターではこれらの資料群について調査分析を行っています。

お問い合わせ
熊本大学永青文庫研究センター
担当:(准教授)今村 直樹
電話:096-342-2304
E-mail:eiseiken※kumamoto-u.ac.jp
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