学長と学生との懇談会(自然科学研究科)

日時 平成14年1月17日(木)11:50~12:5 20020523.jpg
場所 大学院自然科学研究科セミナー室
出席者 江口学長、良永副学長、西田学生部委員会委員
参加学生 28名
陪席者 大学院自然科学研究科教職員 16名、学生部 3名

司会
皆さん、こんにちは。お集まりのようなので、これから自然科学研究科の懇談会を開催させていただきます。そして、この会を司会させていただきます自然科学研究科の学生委員長の西田でございます。特に自然科学研究科の大学院の修士、前期課程2年生、それから、博士後期3年生の方は、ちょうど今、論文のまとめの時期で忙しい時だと思いますけれども、これから1時間ほど、学長・副学長との懇談をよろしくお願いいたします。

これまで、この懇談会は各学部を回ってきまして、自然科学研究科が最後から2番目という形ですけども、皆さん大学院生ということで、熊本大学を外から見る機会も多いと思いますので、お話を学長としていただきたいと思ってます。
それでは最初に、江口学長、副学長の良永先生ご挨拶をお願いします。

学長
今日は、皆さんそれぞれ都合がおありかと思うんだけれども、お集まりいただいてありがとうございました。会議ではありません。好き勝手な、日頃思ってらっしゃることを、僕に聞かせて欲しいということです。それで、本来だったらこういういかにも会議形式の雰囲気でなくてですね、車座になって、日頃、大学に対する希望だとか不満だとか批判だとか、そういうところをお聞きしたいというのが、僕の本当の気持ちであります。

それで、私は、ご存知の様に、今年の11月19日をもって、6年の任を終えますけれども、実は、こういう会を学生諸君と持ちたいなぁと思っておりましたのは、私がここに赴任した直後からです。平成9年の春だったと思いますけれども、当時学生部委員をしておられた法学部の篠倉先生が、私の希望を叶えてくださって、くすの木会館で夕食を食べながら3時間ほど、全学の各学部から大学院の学生諸君をも含めて、十数名と話し合ったことがございます。このようなことが続くと期待しておったんですけども、経費の面とか、いろいろな事情があって、1回だけで終わってしまいました。それで、やはり、私の情念断ち難く、昨年、隣りにいらっしゃる良永副学長先生にご相談して、何とかそういう機会を作っていただきたいということで、昼間だったら学生諸君が何人か来られるので、ランチ・オン・セミナーみたいな格好で、簡単な食事をしながら、皆さんのご意見を聞くということをして参りました。

ただ今、先生の方からご紹介があったとおりです。従って今日は、日頃思ってらっしゃることをお聞かせいただいて、それで、私の方からそれに対して、どういう考え方を持っておるかということをお答えするということですので、気軽に何でもおっしゃってくださることを希望いたします。

副学長
副学長の良永と言います。所属学部は法学部で法律の方でございます。今、学長の方からお話がございましたように、学長がどうしても学生諸君と直接に会って話したいという強い希望を示されました。

熊本大学には、学生部委員会という委員会がございます。これは、学生諸君の学生生活に関する様々な問題を取り上げて、できるだけサポートしていくための委員会でございます。そこで、このような懇談会を「じゃぁやろう。」ということになりまして、学部は全部、医療技術短大、それと大学院は自然科学研究科、それとあと、留学生の方々に関する場をもう1つ設けたいと思っております。それで、手元にサンドイッチとウーロン茶とか、ジュースがありますから、それは自由にどんどん食べながら話をしてください。これを持って帰るなんていうことは考えないで、ここで食べる。そうしないと食べる時間が無くなります。

それで、学長はこういうふうに、非常に気さくな方でいらっしゃいます。非常に高い見識を持っておられますけどもね。非常に気さくに学生諸君達に話をしていただけるものと思っております。これまでもそうでしたから。討論会とかそういうことではなくてですね、懇談会ということでもないんですよ。「言いたい放題言う会」というぐらいのつもりで、いろんな質問なり意見なり、学長のいろんなことをもっと知りたいとかですね、どんどんぶつけてください。その中で、諸君たちのために大学としてやれることがあれば、是非、それは学長を中心として実現していきたいというふうに思っております。
よろしくお願いします。

司会
どうもありがとうございました。それでは、早速ですけど、両先生から言いたい放題言っていいというお許しが出ましたので、両先生には立っていただいたんですけども、一々立ったりすると面倒ですので、着席のままでも結構です。どんどん質問と言いますか、発言をしていただければと思います。
誰か口火を切っていただいて。はい、どうぞ。

博士後期課程1年
今、秋山先生のところで、遠隔教育、情報通信技術を用いた遠隔教育の研究をやっているんですけども、その関係で、この前、生涯学習教育センターの岩岡先生とお話する機会がありまして、センターの方に蓄積されてますいろんな資料とか、公開講座の資料とか、そういうのをインターネットで公開したいというような相談を受けたんです。これから、大学が地域に根ざした大学として、知的な財産の有効な活用というのをやっていかなければいけないのではないかと思いますけれども、その方法とか、どういったふうにやりたいかというようなことをお聞きしたいというのが1点。

それから、私は今、教育学部の技官をやってまして、夜、研究をやっているんですけれども、私だけでなく、いろんな方も勉強をしたいというニーズは持ってらっしゃるんじゃないかと思いますが、そういったバックアップ体制を、大学として今後どのように取っていったらいいのかっていうことを、良ければお聞かせ願えたらと思います。

学長
もし、私が誤解してたら訂正して欲しいと思うんですけど、生涯学習教育センターのファンクションは、僕はこういうふうに思ってるわけです。生涯学習教育センターというのは、熊本大学では、つい最近、省令施設としてできたばっかりで、国立大学の中では非常に遅れたわけですね。それで、今までの生涯学習教育センターは、機能的にそれほど成功していないという一般的な評価なんです。他大学は、教育学部が主体となって生涯学習教育センターを立ち上げた。何故、生涯学習教育センターのファンクションは、批判の目に晒されるかと言うと、大学がやる生涯学習というのは、例えば自治体なんかに生涯学習教育センターがありますよね、そういうものとは異なるものであるべきと考えます。単に一般市民向けに講演会を開いたり、カルチャースクールみたいなことをするということではないと思っておるんです。大学の営む生涯学習教育センターというのは、いや、生涯学習というのは、大学のアカデミズムに直接学外の方に触れていただく、それが一番大事なことなんです。そういうことが忘れ去られているので、大学が生涯学習をやっても、自治体等でやられるものと何ら変わらんということになる。従って、大学が何をやっておるかも良くわからないということになるわけです。そういうことを岩岡先生にも、きつく私の希望として申し上げておるところであって、例えば、大学に籍を置かない人々に、年齢に限らず、どなたにだって大学の諸君と同じように研究に触れるとか、大学の先生方の講義に触れるとか言ったようなことに、どんどん参加していただくべきであると思いますけれども、それは、軽々にやると、学生諸君の邪魔になるんです。何でもしたらいいというものではありません。

例えば、私のところにもどんどん手紙が来る。非常に熱心な相当年配の方です。どういう手紙が来るかというと、「自分は非常に精神的なものの存在を信じて、そして独特の宇宙感を持っておるんだ」と。それで、「そういう自分の考え方に律すると、斯く斯く然々の理論が構築できる」と。ものすごく細かい文字で書いたのを送られてきます。「それを大学で取り上げる気はないか、大学で自分のそういう研究をさせてくれんか」と。僕には絶対に理解できない。夢想家みたいなことね。そういう人が飛び込んできたら、絶対に学生諸君の邪魔になると思うんだ。僕は、何でもいいからいらっしゃいということでは、いかんと思うんです。公開講座にしたって、やっぱり大学の学生諸君が大学にとってはまず大事なんだ。その学生諸君の教育がきっちり営まれて、しかも一般の方にもそういう機会が得られるというものでなかったらいけませんので、私はそういう点を非常に注意して展開すべきだなぁと思っております。

それから、大学のシーズをいろんなことに活用していただく。それは非常に大事ですよね。今まで、そういうことについても、だいぶ批判を受けて参りました。僕はね、生物学者ですけど、幾つかの会社に私の知恵を差し上げて、特許を取っていただいてます。生物学者ですけれどね。当時いろんな規制があったから、特許権には名前を連ねられておりません。それはどういうことかというと、人と社会が忘れ去られるようなものは、僕は研究とは言えんと思っておるんです。常に人と社会が念頭に無いような研究は、しかも税金を使って営む大学で、そういう研究は、僕はされるべきではないと思います。人と社会がいつも頭の中にあって、十分好奇心があったら、熊大は敷居が高いとか、そういことを言われなくて済むんです。一見、趣味的に見えるような研究であっても、それをなさっておる人に、人と社会ということが念頭にあれば、研究の在り方も変化するはずです。そういうのが無いから、「あなたの言うことに私は興味が無い」とかね、そういうことになり、遮断しちゃうわけです。もう1つ、研究者たるものは、可能な限り幅広い好奇心を持つべきだと思う。どんなことにでも興味が持てるように、目を開くということが大事なんだ。それさえあれば大丈夫です。そう確信しております。

夜間の研究のバックアップ体制。一般的には僕ね、あんまり夜遅くまで、研究なんかして欲しくないなぁ。大体ね、光熱費の無駄ですよ。朝早く来て、明るいうちに研究済ませて、夜は飲んで語るなり、そういうことをして欲しい。僕は、遅くまで研究しておるのといい研究をしておるとは別のことだと思います。第一、危険です。よろしいか。それで、こういう建物で、たとえ2~3人といった少人数でも、夜遅くまでやっておると、全部電気つけておる。冬寒いと、全部暖房を入れるということになり、どれほど無駄ですか。どうしても夜でないとできんのは仕方がないが。私の基本的な考え方は、朝早く起きて、日があるうちに研究を済ませて、帰って自分の時間を作るということでございます。

博士後期課程1年
社会人大学生という視点から言っての質問だったんですけれども、結構今、私以外にもいらっしゃると思うんですよ。自然科学研究科の方には。

学長
社会人入学で、具体的にどういう問題がありますか。例えば工学部は社会人入学を非常に重要視してね、どんどんどんどん裾野を広げてますよね。


博士後期課程
1年 今後また、増やしていきたいと考えてらっしゃるのか。


学長
私自身がですか。僕ね、それも実は非常にそういうことには慎重でございます。適正な数というのは絶対にある。社会人入学の有効性というのは、経験いかんです。いろんな点でのね。例えば、研究者としての経験を持っていらっしゃって、企業の技術者として研究なさってて、もっともっと大学でもう一回学びたいという方、あるいは、研究経歴は無いけれども、これから大学に入って、研究を志向したいという方、いろんな方がある。だから、一概に研究経験が豊かだとは言いません。だけど、人としての経験は、絶対に現役の諸君よりも年齢に応じて豊かなはずであるので、そういう方と皆さんが接してくださるというのは、非常にいいことだと思う。それでも、社会人の方が多いということであっては、大学の本来の機能を失うと思います。

大学っていうのは、将来、20年、30年先に、社会を背負って立っていくような人を育てるところですので、あまり社会人の数が多くなるということには、僕はしたくない。だから、マキシマムは3割ぐらいがいいところでないのかなと思ってます。今、3割と言ったのは、論理的に、斯く斯く然々の理由で3割だということは何にもありません。勘でね、3割ぐらいがいいところだなというふうにご理解ください。

司会
よろしいですか、他はありませんか。特に話題を設定しているわけではないんで、言いたいことを言ってください。

博士後期課程3年
私も熊本大学に、そのままドクター進学して、9年目になるんですけど、この9年間で、だいぶ大学を取り巻く環境というのは、ものすごく変わってきたと思うんです。

私はずっと大学進学した当時から、研究者としての道を歩みたいと思って、ドクターに進学してきているわけですが、最近、大学の独立行政法人化に伴ってトップ30とか、国からのいろんなお達しが来ていると思うんですけど、それに応じて、大学の中で残るべき道っていうのがあると思うんです。私もずっと研究者としての道を進んでいきたいと思っていたんですけども、最近、地域に根ざした大学と言いますか、そういうものを求めているのか、それとも、特に私が所属している分野になります、世界的なアカデミックな研究と言いますか、学問的な研究というのと、両極端と言いますか、お互いにどこかでリンクはしているのかもしれないんですけども、その辺で、大学が特に工学の分野において、進むべき道っていうのが段々と最近見えなくなってきているっていうか、大学としても試行錯誤している状態なんでしょうけど、私たち9年間も大学に居て、すごく愛着のある大学ですから、将来、いずれはここで研究ができれば、とも考えてます。

それでも、ここの大学の進むべき道っていうのが見えないと、どうしても私たちも将来的に不安を感じる。ここに入れるわけじゃないんですけど、どこの大学もそうかもしれないんですけども、すごい不安を感じてるんです。先生が、今後、この熊本大学が、将来的に進むべき道っていうのがですね、世界的な学問を究めるような大学にすべきなのか、それともほんとに地域密着型で地域の地場産業と言いますか、その産業ともお互い提携して、地域に根ざした大学を目指していきたいのか、その辺のお考えがありましたらお話ください。

学長
よくわかりました。大学にとって、これは世界的な傾向だというふうに認識しておることがあるんです。それで、そういう観点からは、あなたがね、熊本大学に籍を置いて過ごしてきた9年間の間にも、どんどんどんどん変わりつつあるということを実感していると思います。

世界中の大学で起こってることは、地域化と国際化が同時進行に動いてるんですよ。それはもう熊大に限ったことではなくて、世界中の大学が、今、晒されておる一般的状況であるという認識を持ったんです。それは当たり前です。すごく情報網が発達して、地球が小さくなりました。その気になったら、地球の裏側にでも1日あったら行けるでしょう。地球の裏側の情報を瞬時に、わかるでしょう。そしたら、熊本大学に居たって、コロンビア大学の講義だってその気になったら聴けるわけで、わざわざコロンビア大学に行かないでも、東京大学に行かなくてもね。それで、地域化と国際化が同時進行に起こっておるということが、非常に特徴の1つだと。もう1つは、誰でも大学に来るようになりました。日本の場合、非常に教育制度が流布しておりますから、世界のどこの国に比べても、こんな国はありません。新聞を読めない人は殆どいないという国は無いわけです。それで、高等学校の殆どの学生が大学に行きたいと言うておる。それはどういうことを意味するかって言うと、昔はね、大学に行くっていうのはほんの僅かであって、そういう意味では大学に行く人はエリートだった。属に言う東大エリートだとか何とかということではなくて、僕の言うエリートというのは真のエリートですよ。エリートっていうのは、自分にきっちり責任をもって、自分は何をすべきかっていうことをわかって、それで自分の道を切り開いていくのがエリートであって、「東大を出てるのがエリート」という意味のエリートではありません。

そうすると、例えばあなたのように、研究者を志向してくる人、あるいは大学を受けて適当に4年間学んで、良い就職口があればいいなと思ってくる人、大学を人生の4年間の1つの通過点に位置付けて、それなりにフラッと来る人がいっぱいおるわけね。そうすると、学生集団として、教育は非常に難しいですね。そういう2つの問題が、今の大学に突きつけられておるということを、まず考えて欲しい。そうすると、例えば、研究者を志向してくる学生には、どういう教育をしたらいいか。ともかく4年間フラフラと、そういう学生もたくさんいるが、過ごして出て行く人とどういう仕分けをしたらいいか。人を思い、社会を思い、国を思い、何とかして自分はそういった人類社会の礎になるんだという思いのある人、どうやって仕分けをして協力をしたらいいか、ものすごく難しい。下手をやったら、有為の人材を潰すことになります。僕はそういう今の大学の抱えておる2つの問題点を前提にして、熊本大学は将来どうあるべきかということを考えておるわけです。

法人にいずれなりますけど、大学の規模として、1大学1法人になるんであるから、私は、大学の学部学生を合計すると1万1千ぐらいかな、1万~1万1千。先生が千人、事務官が5~6百人、僕は極めて適正な規模だと思う。これ以上大きくならん方がいいし、小さくもならん方がいいなと思います。こういう規模をできるだけ維持しつつ、大学院を充実して、それに見合った、それをきっちり下支えする学部をスリム化しながら、再構築していったらいいんと違うかな。それで、地域にベッタリの研究も結構です。あなたは世界的な研究ということを、ちょっと仕分けなさったんだけど、研究にね、世界的な研究も地域的な研究も無いわけですよ。例えばね、熊本からイ草がたくさん採れるでしょう。それで、今、どんどんどんどん中国の安いイ草に押されて困ってるでしょ。あのイ草を原料にして、今まで誰も見たことも考えたようなこともない製品を作るとしましょう。それにあなたが噛んでおったとしましょう。それが世界中のみんなに珍重されたとしましょう。そういう研究が世界中で国際的に評価されん筈はないじゃないですか。是非そういうふうに考えて欲しい。僕の考え方はそういうことです。そういう大学にしたいなぁと思うておるんだ。

博士後期課程3年
ありがとうございました。


司会
他はないでしょうか。
博士前期課程2年
私の記憶が正しかったらですけど、多分、教養部が無くなって、最初の大教センターだったと思いますけど、そのシステムで1年生の時から教育を受けてきた年代だと思うんですけれども、学長先生は、熊大を特化していくというか、今もある程度コンパクトな規模を保ちつつ、そういう先端の部分は先端で特化していくっていうふうなことをおっしゃっているんですけども、そうであれば、なおさらですね、逆に教養の教育っていうのは、もっと考え直すべきじゃないかと思ってるんです。
というのは、自分の学部時代を振り帰ってみると、1年とか2年の時に、通過儀礼的にワーッと単位をたくさん取らなきゃいけないし、それを取らなかったら、次の専門の課程で留年しちゃうという現実があって、なかなかじっくり自分でものを考えるっていう時間がなかったような気がします。そして、学部の4年生になれば、やっぱりある程度最先端の研究でないと卒業論文にならないという気がしてるんですけども、これから教養の教育っていうのはどういうふうに考えておられるかっていうことを。

学長
教養教育というと? ちょっと僕、理解ができないんだけども、大学における教養教育という意味ですか。あのね、私はね、大学における教養教育は、工学部とかは4年制、医学部は6年ですよね。医学部だったら6年間の間に、ずーっと連綿として教養を身につけて欲しいと思っておるんです。だから、初期の1~2年で教養教育を終わりだなんていう問題ではないと思うんです。いわゆる教養を身につけるっていうのはね。

もう1つ、一般教育というものの中に、これからスペシファイしていく学部3年生、4年生、大学院。スペシファイしていくための、例えば化学だったら、より専門のものを身に着けるために、基本的に必要な基礎的なものがありますよね、それも一般教育のうちの1つでしょう。従来の教養部というのは、1~2年でそれをやってたわけね。僕もそういう教養部で学んできた人間の1人ですけど。旧制の高等学校から新制の大学に移る狭間でずっとそうしてきた。当時を振り返ると、私はその時に、何てこの2年間無駄なことをしたかと今でも思います。自分でそれを補ってきました。高等学校よりもちょっとレベルの高いのを2年間教えられたわけですよ。語学にしろ。実際に活きるような英語は殆ど学ぶことができなかった。それが連綿と続いてきた。

それで熊本大学は、今、良永先生が悪戦苦闘していらっしゃいますけど、私が来るちょっと前に、教養部改革がなされて、教養部が無くなったわけです。だけど、あなたがおっしゃるところの熊本大学の一般教育、大学における教養を養うのと、より特化していくための基礎的な科目の修得といったようなものは、実質的には教養部があった時代と、あんまり変わっていない。それで、大変大きな私の悩みの種でありまして、それを如何にして変えていくかを、私は、今いったように、いわゆる人格等への教養、狭義の教養教育は、僕は入ってから卒業するまで、いつでもやって欲しいと思うんです。それで、スペシファイしていく方の、より専門化していくための基礎的な教育っていうのは、もっともっと効率的に営みたいと思っておるんです。

そのためには、先生方が講義なり実習なりを通じて、学生諸君に自分でやる気を起こさせるような授業をして欲しいと。そしたら、すごく短時間で効率の良い、そういう基礎教育ができるんと違うかな。今、それも必死になって、どういう体制がいいかということを模索しておる最中であります。良永先生、何かござますか。

副学長
正直言って、今の質問は僕にとっては、ある意味では非常に重たい。先ほどおっしゃいましたよね、平成9年度に教養部が廃止をされまして、教養部に存在していた教官のポストは、全ての学部に移ってしまいました。それに伴って、そこにいらっしゃった先生方も各学部にお移りになりまして、各学部は専門教育をやりながら、且つ、全学的な意義を持つ教養教育もやるということで、大きく転回したと思っております。ただ、学長も触れられましたけれどもね、本当に学生諸君に魅力的な授業を我々が提供できているかと問われるとね、「うーん」と、「もっと考えんといかんな。」というのが本当のところなんですよ。

今、あなたは「通過儀礼にと」、こう言いましたね。その言葉はきついなぁ。私自身もね、学生の頃、教養教育っていうのを受けたんですよ。はっきり言ってちっとも面白くなかった。思い返すと、僕自身も悪かったんだろうけれども、やっぱり授業が面白くなかったというのが半分は当たっておる。外国語だって、全然つまらない外国語ばっかりだったし、教養という名前で先生たちの趣味みたいな話を山ほど聞かされて、一体何のためにこれに僕は付き合っておるのかっていう思いがあったからね。だから、学生諸君も本当にこれは面白いぞと。大学に来て良かったぞと。特に教養教育なるものについて、最初に触れるのはですね、1年生に入ってでしょ。非常に希望をもってね、大学に入ってきて、つまらん授業に付き合わされたら、こんな悲惨なことはないですわな。これで熊大に来て良かったと。専門教育もいろいろあるけれども、これは熊大に来て良かったとぞ。勉強する意欲が湧いてきたぞと。こういうふうに、やっぱりいって欲しいですね。そのために、我々が何をできるかということを、今、検討中です。大学改革の第2弾を今やりたいと思っております。

これまでね、外国語教育は基本的に考え方を切り替えてます。要するに、文献講読型と言いますかね、例えば何か文学作品の短編を読ませて、先生が得々としておると。学生は面白くないのに、先生だけがえらく楽しそうにやっておるというんでは困るんで、学生が楽しくなきゃ話にならん。外国語っていうのは、グローバリゼーションと言われますが、まず聞けて話せて使える外国語を重視するということで、コンピューターシステムを導入した。それから、科学技術の発達で、IT化もがどんどん進みますけれども、コンピューター化された時代にどんどん突っ込んでいくわけですから、諸君に最低限の素養と技術は身に付けておきたいと。かなりそういう部分も充実してきました。

それで、いわゆる教養なるものの中身を議論すると、もう議論百出でね、それを抽象的に提議してもしょうがないから、私なんかは、専門分野というのは、ある程度特化していかざるを得ないんで、それと併せて、例えば学長はさっき人間とか社会を忘れた学問はつまらんとおっしゃいましたけれども、物事を幅広く見ていくような面白い授業、そして自己相対化ができる授業、自分の専門分野もいろんな分野と関わり合ってるぞとかですね、そういうことを考えていただくようなものであったらいいなと。先生たちが本気でやりたい授業、諸君たちが面白いと思ってくれる授業、そういうことを今、考えてます。

それから、授業の方法についてもね、本を読むばっかりとか、先生が後ろを向いて板書ばっかりしておる授業は面白くないんで、授業のやり方についても、やっぱり一工夫も二工夫も要るんじゃないかということで、最近の流行り言葉はFDとかね。「熊大だより」でフロッピーディスクでもフォークダンスでもございませんと書きましたけれども。ファカルティーディベロップメントと。私はFDのことを最近聞いてね、うろたえて勉強しておるわけですけども、こういういわゆる授業のやり方も、個人個人に任せないで、先生たちがある程度集団的に取り組んで、問題を共有しながら、自己開発をしていこうという途上でございまして、さあ来年から断然良くなるぞということはありませんけども、そのための努力を熊大はきっと重ねていくだろうと思っております。

諸君たちの受けた授業は良かったと思わんから、君たちの後輩のためにも頑張る。それで、君たちにとっても後輩がどんどん入ってきますから、後輩についてもいろいろな面倒を見てやって欲しいと思います。以上です。

学長
いわゆる広義の教養教育の、本学では一般教育というふうに呼んでおるようですけども、専門教育であろうと何であろうと、先生方がね。日本語というのは、よく誤訳をしておりましてね、「education」という言葉を教育と訳したんですよね。教育というのは、「教え育む」というんでしょうかね。「education」というのはね、概念的には「引き出す」という意味なんですよね。だから、「教え育む」でなくて、諸君の隠された能力を何とかして引き出してあげるという意識で、先生が全てやっていただいたら、がらっと変わると。日本の不幸な状況を直していただけるようになると。だから、与えるものだと思うとそうではない。皆さんが気が付かないタレントを引き出してあげる。

それと、僕は、先生方にいつもお願いしてるんだけど、例えば諸君はもう大学院におられるから、どちらかって言うと、もはや研究者です。研究者にとって大事なことはですね、例えば、ある自分が尊敬し得るシニアな研究者は、何を思って特定のテーマに取り付いて今日に至ったかということを聞くだけでも、ものすごく参考になるはずです。私自身、生物学者として40年過ごしてきましたけれども、これで本当に自分に向いておったかどうか、今でも迷う。迷います。同じ研究者だったらもっと他にもっと自分に向いた領域があったんと違うんだろうかと、今でも思う。そんなもんです。

熊本大学にも世界に通用する先生方がたくさんいらっしゃるんで、そういう先生方が、そういうことを諸君に語ってくださったら、諸君にとって非常に良いことになるんでないかなという願いもあって、そういう講義をなんとかして各学部でずっとやっていただきたいなというふうにも考えております。

大学における教養教育っていうのは、そういうのがあれば、場合によってはそれで十分かもしれん。あとは皆さんが、世の中を論じたり、まじめに人を論じたり、そういうことでもって、教養というのは自ずと身についていくんだと、僕は思ってるんです。

司会
だいぶ時間が少なくなってきました。なるべく多くの人に発言してもらいたい。

博士前期課程1年
今年の夏休みに、自分はインターンシップという形で企業実習に行って参りました。土木工学専攻ということで、建設現場へ行ってきたんですけれども、そこの所長さんは熊大出身の方で、いろいろ面倒を見てくれるかと思いましたら、自己紹介しに行った途端にですね、「今の熊大生はつまらん」といきなり説教されまして、自分は名前だけしか言ってなかったんですけども、そう言われたのでかなりショックでしてね。

その所長さんの話をいろいろ聞くと、昔は良かったのに今の学生は落ちてるというふうにはっきり言われました。そこで自分なりにいろいろ考えたんですけども、自分の体験もそうですけども、やっぱり厳しさがなかったんではないかなと。学部の生活というか、単位の取り方ですね。もうちょっと厳しい取り方をしておけば、もうちょっと厳しい人間というのが出来上がっていくと思うんですけども、今のこの大学のシステムだと、そういう人間が出来上がらない可能性があるなぁと思いまして、もうちょっと、例えば単位の取り方にしても、これも体験なんですけども、先ほど話されました教養でも、先輩から聞いて「この先生は単位が取り易いぞ」とかいうのを受けて、人のレポートに似たようなものを書いて優をいただいたとかいうのもありますし、逆に、何回もテストを受けてレポートを何回も出して、何回も何回もしがみついて可を取った単位もあります。逆に自分としては、やっぱりそういう可の方が価値があると思うんですよね。

そういう厳しい環境の中で得たものというのは、自分のものであると思いますし、プラスになってくると思いますし、そういう授業だとやっぱりそれだけの人間もできてくると思うんですよね。今の授業がどういう感じで単位取得になってるか、まだわからないんですけども、個人的な意見としましては、もう、優・良・可・不可の4段階とかではなくてですね、イエスかノーか厳しくはっきりするような、安易に取れる優とかじゃなくて、そういう厳しくてもいいから可か不可か、その2つ。イエスかノーかというはっきりしたような授業システムにした方が、個人的には、人間ができあがるんじゃないかと。そうすれば、熊大から卒業しましたと就職した時に、「お、最近、熊大生は。」というふうになると思うんですよね。

大学卒業して会社に入るということは、大学側としても学生を、言い方は悪いですけど商品として会社に売り込むわけですから、人間を作っていくべきところだと思うんですね。そこの時点、今は非常に甘いように感じるんですけども、学長はどうお考えでしょうか。

学長
僕はね、厳しくしたら人間が出来るとも考えてません。それは緩やかであったって、出来る人は出来るわけです。今、問題はですね、大学に来る前の、あんまりこういうことを言うと結局大学に責任があると、大学に戻ってくるから言いたくないんだけど、大学に来る前にみんな疲れちゃっているわけですよ。受験勉強、受験勉強、受験勉強。そんなことをいうと諸君は怒るかもしらんけども、まず打算的な人間にさせられちゃってる。こういう勉強をしたら通るんとちゃうかと。せっかく大学に来たんだから、それを止めちゃって、忘れちゃって、もう一遍自分で克己をしてやるということが非常に大事で、何もかも教育のせいにしてはいかんのです。それは自分でやるんです。そういう皆さんの努力を支えうる環境がなければ、大学にも大いに責任がある。成績厳しくしましょうというのは簡単です。

日本の経済成長が、エクスポネンシャルに10%レベルでどんどんどんどん上がっていった時代には、大企業の経営者は「人さえ送ってくれたらいい」、「大学で何にも教えてくれんでも、人さえ送ってくれたら、あとは全部うちで技術を教える」と大学に人を求めました。それで不景気になってくるとですよ、「大学は何を教えておった」という具合に変わってきました。そういう時代に、あなたが不幸にして企業に行った、敢えて不幸にしてと言いますが、熊大を卒業なさったそのような人の言うことは、あんまり気にせんでもいい。大体卒業生というのは、そんなもんです。自分の母校はかなり良くなったなぁという卒業生はあんまりいません。あなたも卒業生になったら、きっとそう言うと思う。「俺のおった時の方が、本当に良かったぜい。」と。そんなこと気にしとったらいかん。1つは母校に対する郷愁というのかな。想いっちゅうかな。往々にして卒業生は、そういう想いを裏返しに表現する。僕のいうことあんまり間違ってないと思うんですけど。

大学にいらっしゃる時にはそんなに批判的でなかったのに、名誉教授になられた途端に批判されるっちゅうようのも同じようなことではなかろうかと思うんです。そういう先生はいっぱいおる。そんなことを言うんだったら、現職の時にどんどんどんどん文句言って欲しかったと。あんまりそういうことを気にせんでもよろしい。そういうことを言われたら、「私はこういうことをやってきたんだ。馬鹿にするな!」というぐらいの元気を出して欲しい。そのためには自らが大学に入って、先生方が甘くしておる、それではいかんと、学生諸君も克己して積極的に対処してほしいと思うわけ。やさしい単位をとる学友がおったら、俺はそういう仲間には入らん。要するにそういうアイデンティティーを自ら築かないと。そういうのが無かったら、いかに優れた教育制度があっても、ましな人間にはなれません。それが僕の意見。それで、勿論、あなたの言うことは大賛成です。きっちり成績は、真面目に厳しく先生方はつけるべきです。

司会
いいですか。他にいませんかね。

博士後期課程2年
ちょっと前々から疑問に思ってたことがあるんですけども、博士号の取得において、例えば論文が卒業条件として何本必要だとか、あるいは学外発表を何回こなさなければならないとか、そういった基準というものが学生便覧には全く載ってなくて、また、先生方からも非常に曖昧にしか教えていただけなくて、それが何故なんだろうってずっと疑問に思ってたんですね。その辺をちょっと教えていただきたいんですけど。

学長
そんな基準なんてありません。無いから学生便覧にも書けないし、先生方も言えない。あなたはどこの所属ですか。

博士後期課程2年
環境共生科学専攻です。


学長
ここでは、例えば原著論文が3編ぐらいないと博士が取れないという、そうなってるはずないと思うがなぁ。博士に相当する仕事をしたらいいんですよ。論文が1編もなくたって。そんな基準なんてありません。基準があるのは、それぞれの領域で先生方が、「うちの専攻では、このぐらいの程度の研究をしたものをもって、博士をあげましょう」という基準はあるけれども、何回学会に発表した、何編論文を書いたという基準なんて、あるところは1つも無いと思うけどなぁ。
先生、いかがですか。無いものは学生便覧に書けん。

司会
暗黙のうち、どれだけのレベルに達したかということを評価すると思うんですけども、基本的には学長がおっしゃられたように、指導教官あるいは、指導委員会で博士相当と認めたということしか書けない。個人の研究ですから個々に対応する。だから答えにくい。

学長
ただ、こういうことは言えると思う。先輩の学位を取った人をずっと調べてみると、少なくとも2編ぐらいは論文を書いておると。そうすると、論文2~3編が博士をとるための相場かなと。そういうことは言える。だけど、そんなことを気にしておってはいかんのです。論文の数とか何とかはどうだっていいことなんです。そういう先輩方がどういう、どの程度のレベルの研究をしたかということを見抜くべきであって、それをちょっとでも越えるという努力をしたら、自然に博士でしょう。博士の論文については、きっちり発表することが義務付けられておるんです。だから、論文一編も無くても、博士は取れます。

博士後期課程2年
はい、ありがとうございました。

司会
論文を幾つとか決めちゃうと、結局、これは博士に行った意味があんまりないんでね、自分自身でどこまでやれるかっていうレベルを設定して、それをある種自分がどういう位置にいるかっていうことを、自分自身で把握するということの方が大事だと思うんで、逆に我々が「もう取っていいよ」っていうよりも、「僕はこれだけやったから取れます」と自分で言い切ってもらった方がいいような気がするんですね。

学長
今、先生、非常にいいことをおっしゃった。あるいは学位は申請するんです。だから、「自身ができたから博士をくれ」と言うものであってね、「もうお前は博士を出せるからまとめよ」というのは、逆なんや、ほんまは。そのぐらいの元気を持って欲しいと。そうすると飛び級も実質的にできる。飛び級は千葉大学でやられてるけど、わざわざあのような制度を作らなくても、皆さん、確か5年の博士課程で、3年在籍したらいつでも学位論文を出せるんですよ。現行の制度はそういう制度なんです。そういうことをよく理解しておくべきだと思うんです。

司会
だいぶ時間がつまってきたけど、どうですか。まだいろいろ。だんだん話が佳境になってきた頃に、こういう談話会っていうのは終わってしまうわけで。

学長
後で良永先生がご紹介なさると思いますけど、僕はこういう会をいつでもしたいわけね。私の時間がある限り、皆さんともっと話がしたい。学長と話をしたって全然意味が無いと思われるんだったらいいんですけど、今日話してみて、「ちょっと意味があるなぁ」と。「もう一遍したいなぁ」と。1人ずつ学長室に来られると大変ですのでね、「先生、我々20人ぐらいで、ちょっともう一遍語り合いたいから来てくれんか」という機会を与えてくださったら、今後、私、いつでも自分の時間の許す限り、来る意思は大いにありますので、これ一回限りということには、お考えにならんようにしてください。

副学長
それじゃあ、学長が一部話を振りましたので。学長も今から法人化とかトップ30とか、対外的な活動とか、重要会議の主宰とかで、もう殆ど時間がスライスされてしまってね、正直言って、なかなかゆとりが無いのが現実です。私、そばにいて仕事していますけれども。でも、学長は「機会があれば学生諸君と話したい」という気持ちをお持ちです。これはもう間違いございません。

諸君がね、ある程度まとまって、1人ではいかんとは言ってませんけどね、話をしたいという場合にはね、あるルートを使ってください。いきなり学長室へ行ってもね、出張であったり会議中であったりでなかなか会えないから、「学長と話し合いをしたい」ということがあればですね、こちらにですね、学生部の学生課の職員の方が、今、3人お座りです。どなたでも結構ですから、「学長と会いたい」と。「何とか連絡を取ってくれ」と。必ず労を執ってくれます。その隣りの部屋に私、副学長室がありますけども、私が居れば私のところへ飛び込んでも、勿論構いません。これは掛け値なしの話ですので、学長と話したいということがあれば、こういうルートを使って、あとで日程調整が現実にあるからね。それで会ってください。いきなり行って会える保証は正直言って無いです。そういうことで、よろしくお願いします。

学長
それで、5時以降になると、私、オフィシャルな会議は無くなるので、5時以降だったら、比較的時間は取れる。

司会
ということで、時間になりました。今、学長、副学長が言われましたように、正式なルートを使ってというか、話したいことがあれば、何人かで学長室を訪ねるといいと。いきなり会いにいけませんけれども、今言われた学生部を通して訪ねていっていただくということで、時間もありますので、ここで終わりたいと思います。

学長
今日は本当にいい機会をありがとうございました。また是非。


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