社会や教育の原理を探求する

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「子どもの頃から哲学者」だった

image02.jpg 健児くん(以下:◆):先生はどんな研究をされているのですか?
苫野:専門は、哲学と教育学です。教育学では、「そもそも教育とは何か?どうあるべきか?」という原理を深め、さらにその原理を活かし、政策の策定や教育現場での実践まで、幅広く探求しています。哲学では教育学も含めたところで、もっと広くこれからの社会をどう構想するのかを考えています。
現在、哲学はあまりにも難しくなって、一般の人に届かないものになってしまいました。しかし、本来哲学とは、ものごとの本質を洞察する「珠玉の思考の玉手箱」のようなものなんです。いかに多くの人に哲学をわかりやすく伝えるかも大切な仕事の一つです。
◆:先生が哲学や教育学を研究されようと思ったきっかけは何ですか?
苫野:私は子どものころから哲学的な少年でした。7~8歳のころから「なぜ生まれてきたのか?」「なぜ生きているのか?」と考えだし、本気で悩んでいたんです。そのことを周りの友達に話してもわかってもらえず、自然と友達が離れていってしまいました。「人との関わり方がわからない!」と考えだすとますます哲学的になり…そのストレスで神経症を患ってしまったのですが…(笑)。これが私の哲学の原点です。しかし、自分がやりたいことが哲学であったことに本当に気がついたのは25~26歳のころ。私の師匠である竹田青嗣教授の『人間的自由の条件』という本に出会い、自分の世界が壊れたんです。でも、そのことをきっかけに哲学を学び、「自分は哲学者だったんだ」と気づいたんです。
ちょうどそのころ、教育学研究科に所属していた私は、軸のない教育学に問題を感じていました。竹田先生との出会いから、哲学とは物事の本質を洞察し、どうすればよいかを提示するものだと気づいた私は、その後、「そもそも教育とは何か、それはどうあればよいと言いうるか」を哲学的に探究するようになりました。

30代のうちに、自分の哲学の土台を作りたい

image03.jpg ◆:先生はたくさん本を出されていますが、今、特に注力されているものは何ですか?
苫野:30代のうちに、初期を代表する哲学著作を残したいと考えているんです。まずは、実存哲学に関する集大成を書きたいんです。
実存哲学とは、簡単に言うと人間の本質を深く洞察するものです。もちろん絶対に正しい本質みたいなものはありませんが、「なるほど、確かにこれが『人間』だ」と深いところまで考え抜かないと、さまざまな学問や思考が宙に浮いてしまいます。これを自分の哲学の土台として、40代以降はこれからの社会のあり方をこれまで以上に本格的に構想していきたいと考えています。

実践的な授業で学校教育に改革を

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◆:大学ではどんな授業をされているのですか?
苫野:私の授業では課題図書を読んでのディスカッションや、テーマを設けてそれに対して自分たちなりの探究を行うプロジェクトなどを行います。教育学部の学生は本当に良い人たちばかりです。言われたことはきちんと行います。しかし、受け身態勢である場合も多いように思います。その責任は、学生たちにあるのではなく、そういう教育をしてきた私たち大人にあると思っています。私の中に「日本の学校教育を抜本的に改革したい」という思いがあります。だから、大学の授業でも座学はほとんどなく、あくまで授業の主体は学生です。私は「共同探究者」として助言を行います。最初のころ学生はレジュメも上手に書けないし、ディスカッションもうまくできません。しかし、半期続けると、みんな自分の言葉でレジュメを書き、ディスカッションし、レポートをまとめることができるようになるのです。これは非常に手ごたえを感じているので、これからも続けていきたいと思っています。
◆:最後に熊大生に一言お願いします。
苫野:もっとたくさん世界を見てください。狭い世界の中で考えないでください。これからの教育のヴィジョンを語ると、よく「それは理想だけど、現実的に無理」と学生や現場教員から言われます。しかし、世界や歴史を見るとそれが非常に狭い見方であることが分かります。私は、自分たちが受けてきた教育がいかに小さくてローカルなものであるかを学生たちに知ってもらうために、2015年はオランダ、2016年は関西の先進的教育を行っている学校に学生を連れて行きました。本当はゼミ生以外、特に1年生に先進的な教育現場を見てほしいのですが、人数の関係上、ゼミ生以外に7~8人程度しか連れていけないのが悩みです。しかし、自分の世界を広げるための機会をたくさん提供したいと考えています。
(2017年1月31日掲載)
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