「マスク」が大気汚染による心筋梗塞のリスクを下げた? 〜閉塞血管のない心筋梗塞リスクがコロナ禍で減少〜

(ポイント)

  1. 日本全国のビッグデータ解析により、PM2.5※1(粒子状物質)の短期曝露が急性心筋梗塞(AMI)全体およびそのサブタイプであるMI-CAD(閉塞血管を伴う急性心筋梗塞)※2MINOCA(閉塞血管を伴わない急性心筋梗塞)※3のすべての発症リスクを有意に高めることを示しました。特にMINOCAにおいて、PM2.5曝露による発症への影響がより強く現れることが明らかとなりました。
  2. パンデミックによる行動変容を自然実験として捉えた解析により、5に関連するMINOCAの発症リスクがパンデミック後に有意に低下したことを明らかにしました。これは、公衆衛生的な介入が特定の心筋梗塞のリスクを抑制しうることを示す重要な知見です。
  3. マスク着用等の身近な防護策が環境由来の健康被害を軽減する有効な手段となり得ることが示唆され、今後の予防医学や公衆衛生政策への貢献が期待されます。今後は大気質の改善による長期的な心血管保護効果の解明を進め、持続可能な健康社会の実現を目指す一助となることが望まれます。

 (概要説明)

 熊本大学病院医療情報経営企画部の石井正将講師、中村太志教授および熊本大学大学院生命科学研究部循環器内科学の辻田賢一教授らの研究グループは、国内最大級の心血管疾患データベース「JROAD-DPC※4」を活用し、約27万人のデータを対象に解析を行いました。本研究は、大気汚染物質であるPM2.5の曝露による急性心筋梗塞(AMI)の発症のリスクが、新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックによる劇的な行動変容によってどのように変化したかを検証したものです。その結果、パンデミック以降、PM2.5に関連する心筋梗塞の発症リスク、特に「血管が詰まらないタイプ(MINOCA)」において有意な低下が認められました。その成果は、令和8年2月13日に循環器領域における国際的トップジャーナルである、欧州心臓病学会(ESC)公式誌「European Heart Journal」に掲載されました。

 

(説明)

[背景]

大気汚染、特にPM2.5は、全身の炎症や酸化ストレス、血管内皮機能障害を引き起こし、急性心筋梗塞(AMI)を誘発する重大な環境リスク因子として知られています。 2020年から始まったCOVID-19パンデミックにおいて、日本ではロックダウンのような強制的な外出制限は行われませんでしたが、マスク着用や手洗い、移動制限といった行動変容が急速に社会に浸透しました。これらの人々の行動変容によって、大気汚染による心血管リスクがどのように変化するのかということは、まだ十分にわかっていませんでした。

 

[研究の方法]

本研究では、2012年4月から2022年3月までの10年間に、日本循環器学会が認定する施設に入院したAMI患者270,091名のデータを対象としました。解析では、患者ごとに発症日と同一月内の非発症日を比較することで、個人の年齢や性別、基礎疾患といった時間的に変化しない要因の影響を排除してPM2.5の短期的な曝露による影響を評価しました(時間層別ケース・クロスオーバー法)。

AMI患者は動脈硬化による血管の閉塞がある一般的なタイプ(MI-CAD)247,054名と、明らかな血管の閉塞を伴わないタイプ(MINOCA)23,037名に分類されました。環境データについては、全国のモニタリングステーションから取得したPM2.5をはじめとした大気汚染物質濃度、気温、湿度データを使用し、各施設に最も近い地点の測定値を曝露濃度として用いました。

 

[成果]

解析の結果、入院2日前のPM2.5の曝露とAMI全体およびその亜型であるMI-CAD、MINOCAのすべてにおいて入院リスクが上昇することが改めて確認されました(図1)。特に、PM2.5に関連する発症割合を示す人口寄与危険割合※5は、MINOCAにおいて23.2%と非常に高く、大気汚染曝露による影響が際立っていることが判明しました。特筆すべきはパンデミック前後の比較で、MI-CADのリスクはほぼ一定であったのに対し、MINOCAのリスクはパンデミック後に有意に低下していることがわかりました(図2)。このリスクの低下は、人々の移動制限や他の大気汚染物質の影響を考慮してもなお有意であり、MINOCAの主な原因とされる冠攣縮や冠微小循環障害に対し、パンデミック中の行動変容が保護的に働いた可能性を強く示唆しています。

 

図1:PM2.5の短期曝露と心筋梗塞による入院までの日数の遅れの関係

入院2日前のPM2.5の曝露による疾患のリスクが高く、特にMINOCAでそのリスクが顕著に上昇している。

図2:パンデミック前後でのPM2.5の短期曝露によるMINOCA入院リスクのオッズ比の変化

年平均PM2.5濃度の水準別に、PM2.5の短期曝露とMINOCA入院との関連(推定オッズ比)を示す。青はパンデミック前、赤はパンデミック後で、実線は推定オッズ比、点線は95%信頼区間を示す。パンデミック後は、同じ年平均PM2.5濃度水準における推定オッズ比がパンデミック前より小さい傾向がみられる。一方、年平均PM2.5濃度(約7.5–20 µg/m³)の範囲内では、推定オッズ比の曲線は概ね平坦であり、大きな変化を認めない。

 ※図の詳細は下記プレスリリースのリンクをご確認ください。

[展開]

本研究は、マスク着用などの身近な防護策が、避けることのできない大気汚染による心血管イベントの誘発を物理的に遮断し、リスクを軽減できる可能性を世界で初めて示しました。特に日本のように法的強制力のない環境下でも、国民の自発的な予防行動によって環境由来の急性疾患の抑制につながったエビデンスは、今後の予防医学や公衆衛生政策に重要な知見をもたらします。今後は、個人の曝露レベルをより精密に評価する手法の開発や、大気質の改善がもたらす長期的な心血管保護効果の解明を進めることで、環境リスクに強い健康社会の構築に貢献することが期待されます。

 

[用語解説]

※1 PM2.5 (粒子状物質): 空気力学的粒径2.5マイクロメートル以下の極めて小さな粒子。肺の奥深くまで入り込み、心臓や血管に炎症を引き起こします。

 ※2 MI-CAD (閉塞血管を伴う心筋梗塞): 動脈硬化によって冠動脈が狭くなったり詰まったりすることで起こる、最も一般的な心筋梗塞です。

 ※3 MINOCA (閉塞血管を伴わない心筋梗塞): 冠動脈造影検査で明らかな狭窄(詰まり)が見られないにもかかわらず発症する心筋梗塞。血管の痙攣や微小な血管の機能不全が主な原因とされます。

 ※4 JROAD-DPC: 日本全国の循環器診療の診療実態を把握する目的で日本循環器学会が実施している「循環器疾患診療実態調査(JROAD)」があり、その参加施設の中から、DPC(Diagnosis Procedure Combination;診断群分類)参加施設を対象に、病名や診療行為の明細が含まれたDPC データを集めて、構築されたデータベースのこと。

 ※5 人口寄与危険割合: ある集団において特定のリスクを完全になくした場合、疾患の発生が全体で何%減るかを示す指標のこと。

 

(論文情報)

論文名:Air pollution before and during the COVID-19 pandemic: changes in risk of acute myocardial infarction

著者:Masanobu Ishii, Taishi Nakamura, So Ikebe, Yasuhiro Otsuka, Kenichi Tsujita.

掲載誌:European Heart Journal

URL: https://academic.oup.com/eurheartj/advance-article/doi/10.1093/eurheartj/ehag102/8482287?searchresult=1

【詳細】 プレスリリース(PDF567KB)

icon.png sdg_icon_03_ja_2.png

<熊本大学SDGs宣言>

お問い合わせ

熊本大学病院 医療情報経営企画部

担当:石井正将 (講師)

電話:096-373-5738

e-mail:mishii4@kumamoto-u.ac.jp