黒髪町遺跡

【黒髪地区】

遺跡名 黒髪町遺跡
(熊本市 埋蔵文化財地図No.8-88、東西900m、南北1000m)
所在地 熊本市 黒髪2丁目39‐1・40‐1
地 区 黒髪北キャンパス・黒髪南キャンパス
(法・文・教育・工・理学部)
時 期 縄文時代早期~奈良・平安時代(約6300~1200年前)
立 地 立田山(標高151.6m)のすそ、白川北岸の河岸段丘上

黒髪町遺跡は黒髪式土器(中九州の弥生時代中期後半の土器)の指標遺跡として有名で、黒髪キャンパス周辺にはキャンパスがすっぽりと入るほどの、広大で重要な遺跡が地下に眠っています。 黒髪町遺跡の存在は昭和初期から知られていました。済々黌高校の校庭では甕棺2基が発見され、(昭和11年)、九州女学院敷地では弥生時代中期の甕棺や古墳時代の須恵器甑(こしき)などが発見されています(昭和40年)。その後の調査では、「寺門」という文字が書かれた奈良時代の土器が出土し(済々黌高校内、1983年)、古代飽田郡(あきたぐん)における拠点的な性格をもった遺跡であることが予想されていました。

その予想のとおり、平成6年から熊本大学埋蔵文化財調査室で行っている、黒髪キャンパスの発掘調査でも、多くの重要な発見がありました。

9603 1
第3号掘建柱建物(9603調査地点)

現在の文化部サークル棟の下(9802調査地点)からは、縄文時代草創期末から前期にかけての土器・石器などが発見されており、約10000年前から人々が生活していたことが明らかになっています。また、情報ネットワーク館(0425調査地点)ほかでは、縄文時代後期(約3500年前)の土器・石器も見つかっています。

弥生時代では、黒髪南地区の西側を中心に黒髪式土器や北部九州の須玖式土器(弥生時代中期)を用いた甕棺墓地が分布していることが明らかになっています(工学部研究棟II-1・2:9704調査地点ほか)。

奈良・平安時代では、黒髪総合研究棟(0204調査地点)において、道路の側溝の可能性がある溝が南北方向に延びる形で発見されています。この溝は大宰府へ通じる官道(西海道)の推定ライン上に乗るものです。また、くすの木会館建設地(9407調査地点)では、「馬」という文字が書かれた土器が発見され、役人の馬交換・宿場である駅家(駅)が近くに存在していた可能性があります。その他、「國」という文字が刻まれた土製の印鑑も出土しています(工学部研究棟I:9412調査地点)。 黒髪町遺跡は古代官道や駅伝制の研究で、文献で推定されていた延喜式にみる「蚕養駅」、旧飽田郡家(飽田郡郡司建部公の居所)の推定地としても注目を集めてきました。以上のような大学構内遺跡の調査成果によって、構内に飽田郡家が存在した可能性も大きくなってきました。

このように、黒髪町遺跡は縄文時代や弥生時代だけでなく、奈良・平安時代の熊本市周辺や、古代律令制下の駅伝制を考える上できわめて重要な遺跡と言えます。

0204 1
蔵骨器(0204調査地点)

お問い合わせ
埋蔵文化財調査センター
096-342-3832