Webマガジン「Kumadai Now」歴史を学ぶことは、今後、自分たちがどうあるべきかを学ぶこと

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歴史を学ぶことは、今後、自分たちがどうあるべきかを学ぶこと

「踏絵」を通して、歴史上の潜伏キリシタンのイメージを大きく変える書籍を発表された、安高啓明准教授。歴史を学ぶ意義と楽しさを伺いました!

今も昔も人は同じ。違うのは法律だけ。

健児くん(以下◆): 先生が研究されているのはどんな歴史なんですか?

安高先生:日本近世史・法制史です。具体的には江戸時代の政治や法律を中心に、そこで生成された社会や文化、宗教などを対象にしています。当時はさまざまな決まりがあって、全国的な法令もあれば、地域だけで適用される規則もありました。こうした法律の仕組みはどうなっているのか、なぜつくられたのか、そのもとで人々はどのように生活していたかと、支配者・被支配者の双方から研究しています。幕府や藩の法律書や実際に起こった犯罪を分析して、江戸、長崎、熊本などの法制度や社会の実態を明らかにしています。

もともと「今起こっている事件や事象に関して、昔はどうだったのか」と疑問をもっていました。今日正しいとされることは、なぜそう言われるのか、テレビや新聞などで事件が報道されると、昔は同じような犯罪はなかったのか、当時はどのように裁いていたのかな、と。それを考えるためには、過去にさかのぼって検証する必要があるんじゃないかと思ったんです。江戸時代の古文書を解読しても、現在と同じような犯罪がでてきます。違うのはそれを裁く法律だけ。人間自体は進歩していません。だからこそ人類は歴史を学び、どのような過ちをしてきたのかを知らなければなりません。一人ひとりがどうあるべきか考える素材を提示していくことに、歴史学の意義があると思います。

法律は社会を映す鏡です。法律にはその時の政治や社会が抱える問題点が凝縮されています。それに気づき、政治と法の関係や当時の人たちの生活を連動させて研究しています。古文書を丹念に読み解き、実証史学の立場にたって、史実を探求しています。

◆:熊本大学には永青文庫など、藩政資料もたくさんありますね。

安高先生:永青文庫資料には、熊本藩の行政や司法はもとより、幕府や長崎奉行、その周辺諸国とのやり取りを示すものなど、多岐にわたります。これらを直接手にすることで、はじめて伝わってくる歴史の重みや息吹があります。資料に真摯に対峙し研究しなければいけないと日々痛感します。全国的にも有名な『刑法草書』という資料があるのですが、それを身近に見られることは、恵まれた環境だと思います。

人文・安高先生

キリシタンの取り締まりで見える潜伏キリシタンの思い

安高先生: 私は熊本(八代市)で生まれ長崎で育ちました。進学した東京の大学・大学院では幕府や長崎奉行所の司法制度について研究していました。就職で長崎の博物館に赴任しますが、そこで、東京国立博物館が所蔵する国指定重要文化財の踏絵やロザリオ、十字架、メダイ(メダル)などを展示担当する機会に恵まれました。その後、福岡の大学に移りますが、ここはキリスト教系の学校だったので、さらにキリシタンの研究をすることになります。当時、キリシタンはどのような気持で踏絵を踏んでいたのか、より興味をもつことになりました。ふり返ると、研究者生活をスタートした地で踏絵にかかわったことが、現在の研究に結びついています。熊大に着任したのも、生まれた地で貢献するようにというメッセージのように感じます。

踏絵は、キリシタンが信仰していたメダイを踏ませる制度として始まりました。踏絵を管理していたのは長崎奉行で、各藩は踏絵を行うときは、長崎まで来て借りなければなりません。しかし、当初、踏ませていた信仰道具は、多くの人たちが踏むことで割れたり壊れたりします。そこで、長崎奉行所は踏ませるための道具として鋳物師に踏絵(真鍮踏絵)を作らせたんです。鋳物師は寺院の梵鐘などを作る人たち。仏教徒が踏ませるためだけに作ったものを踏絵として利用するようになると、キリシタンにとっては、踏みやすくなるんです。にもかかわらず、長崎奉行はそれを使い続けます。本気で取り締まる気はないんですよね。ところが、熊本は違います。キリシタンから没収した、十字架やメダルなどを踏絵に使うといって長崎奉行に融通してくれるように頼んでるんです。熊本藩では踏絵のことを「影踏」と言いましたが、信仰道具にもこだわっていたんです。踏絵には地域で温度差があったんですね。

長崎奉行所で製作された20枚の真鍮踏絵は現存19枚で東京国立博物館に所蔵されていますが、全国各地に踏絵と称されるものがあります。それは、明治時代後半以降、外国人向けのお土産品などとして作られたためです。日本で行なわれていた踏絵は、外国人に興味をもたれていたわけです。遠藤周作が『沈黙』を書く際、踏絵を見て感動して書いた、という話がありますが、彼が見た踏絵も「偽物」だったんですよ。偽物だからといって価値がないわけではありません。なぜこうしたものが作られたのかと考えると、新たな研究も生まれてきます。なにより、『沈黙』は、その偽物から創り出された無二の作品のわけですから。

◆:潜伏キリシタンの歴史は、いろいろと知らないことがあるんですね。

安高先生:潜伏キリシタンの存在を、当時の人たちは知っていました。法律上、キリスト教は禁止されている時代です。法律違反者のキリシタンを見つけたら処罰しないといけません。しかし、彼らは表向き寺院に所属している上に踏絵も踏んでいます。つまりこうした状況は幕府から仏教徒として認定されていることになるわけです。幕府はキリシタンだと勘づいているけれど、ちゃんと踏絵に応じ、年貢も納めている潜伏キリシタンは社会の構成員として優秀でした。だから、役人も捕まえなかったんです。

今日ではキリシタンはかわいそうだ、というイメージがあります。しかし、それは現代的な評価です。キリシタンを禁止する法律は当時の立法手続きに従って成立しています。つまり、キリシタン取り締まりは正当性のある、合法的なものです。

もちろん現代社会の価値観からすれば、この法律は間違っています。信教の自由や思想の自由が憲法で保障されているわけだから、決して許されることではありません。しかし 当時は、Rule of law、つまり、法の支配の原則にたっていることは明らかなのです。権力者による恣意的な社会ではなかったという意識をもつことも大切です。

人文・安高先生

研究成果を社会貢献につなげる学芸員を育てたい

安高先生:学芸員として仕事を始めたころ、展示方法や説明文の書き方など、とても苦労しました。ゼミ生の中には、学芸員になりたいという人も多いので、同じ苦労をしなくていいように指導できたらと思っています。博物館は、調査研究した結果を、展示を通じて一般の人たちに理解してもらう場所です。学芸員は研究者であり、表現者でもあります。表現者として展示するテクニックを在学中に少しでも身につけてもらえたらと思います。

そこで、附属図書館や天草キリシタン館で、学生たちに企画から関わってもらって展示する機会を設けています。学生たちも、最初は堅苦しい文章を書いていましたが、今は、デザインにもこだわって、わかりやすく工夫するようになりました。解説シートも上手なんですよ。展示は、専門家だけがわかっても仕方がないんです。いかにわかりやすく一般に伝えられるか。それを意識するように指導しています。

熊大に来てからも、大学や自治体、個人などから相談をうけて講演や調査していますが、学芸員だった時のようにはいきません。幸いゼミ生から学芸員になってくれていますし、自分は学芸員から教員になりましたが、自分ができなくなったことを、教え子がやってくれるのはうれしいですね。

人文・安高先生

先入観をもたず、疑いをもって物事を見よう

◆:学生の皆さんに一言お願いします!

安高先生:先入観をもって物事を見ないように心がけてほしいと思います。俯瞰的に物事をとらえて、あらゆることに疑問をもってほしいです。例えば、潜伏キリシタンにしても現代の先入観で見ると「かわいそうな存在」ですが、「踏絵を踏みさえすれば信仰を守って生きられる」という考え方を導き出したという見方もできるわけです。かわいそうな存在でなく、“強い”存在として評価すべきです。歴史を学ぶ以上、こうした法律を二度と作らせないためにどうするべきか考えなくてはいけません。知識の先にある疑問を自ら解決しようという姿勢が成長を促します。

また、外に目を向けてほしいとも思います。「外」とは、自分以外の世界という意味です。外に行くと、はじめて自分の未熟さに気付かされますし、その一方で評価されている点も知ることができます。歴史学は社会と不可分な学問だと思っています。大学で身につけたことを実社会で活かし、少しでも地域社会に貢献できる人(=人財)になってほしいですね。

人文・安高先生


(2019年3月28日掲載)

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