本庄遺跡

【本荘地区】

遺跡名 本庄遺跡(熊本大学病院敷地遺跡、熊本市埋蔵文化財地図No.8-95)
(東西500m+α、南北500m+α)
所在地 熊本市本荘1・2丁目
地 区 医学部・医学部附属病院・医療技術短期大学部
時 期 縄文~奈良・平安時代、近代(約500年前)
立 地 白川の河岸堤防上、標高13~12m
(※遺跡名には「庄」の文字を使います。)

本庄遺跡のある医学部・附属病院地区は、白川寄りの附属病院側が標高が高く、南東部(医学部側)へと緩やかに傾斜しています。現在、白川から分岐した小河川が敷地内を暗渠として流れていますが、古来よりこの一帯を、流れを変えながら幾本もの小河川が流れていた可能性が高いと考えられます。

本庄遺跡は、1963年ごろに附属病院の敷地内で須恵器・土師器・布目瓦などが採集され、遺跡としての認定を受けています(熊本市教育委員会の調査)。しかし、その後発掘調査は一度も実施されず、遺跡の詳細は熊本大学埋蔵文化財調査室が調査するまで不明でした。

本荘地区では、研究棟や病棟の建設で多くの発掘調査を実施し、主に古墳時代前期と古代(奈良・平安時代)の遺構が良好に残されていることが判明しました。医学部RI総合センター遺伝子実験施設建設地点(9511調査地点)・医学部校舎建設地点(9601調査地点)・西病棟建設地点(9901調査地点)では数多くの住居址や掘立柱建物跡を確認し、昔の集落の様子が明らかになりつつあります。

95112
冠雪の現場(9511調査地点)
95111
M15竃崩落状況及び土器(9511調査地点)

9601調査地点では、深い溝(大溝)の中から文字が書かれた土器が多量に出土し、中には「佛(ほとけ)」「 く 本寺(くほんじ)」と読めるものがあります。有力豪族の氏寺が存在し、現在の「九品寺(「くほんじ」)」の地名がこれに由来するものであることが分かりました。

共同溝建設地点(0104調査地点)・発電機室および共同溝建設地点(0304調査地点)では本荘地区唯一の弥生時代前期の遺構(溝)が見つかっています。小型 bou_2.jpg 製鏡の破片も出土しました。ポンプ室建設地点(0411調査地点)・山崎記念館移設地点(0509調査地点)では最大幅4m、深さ約3mの大溝(下部:古代、上部:近世に再掘削か)が見つかり、昔の人々の土木工事の迫力と活気が伝わってきます。

このほか縄文土器(縄文時代晩期、約3000年前)も出土しており、はるか昔から人々の生活の場として利用されてきたことが、徐々に明らかになってきています。

0119
M1遺物集中区(0119調査地点)
0006
M9住居遺物出土状況(0006調査地点)

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埋蔵文化財調査センター
096-342-3832